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対人恐怖症を克服するには

対人恐怖というと、他人が怖くなること、という風に考える人もいるでしょうが、そうではなくて、「他人にどう思われるか」が怖いのだと思うです。

例えば、視線恐怖や赤面恐怖などは対人恐怖症の症状ですが、これらも、自分の視線が相手に不快な思いをさせているのではないかと思ったり、自分の顔が赤くなることで相手が自分のことを恥ずかしい人間だなどと思うのではないか、と恐れているわけです。

一見、他人のことばかりを気にしているように思えますが、実は本当に気にしているのは他人ではないと私はやっと気づきました。

では誰のことを一番気にしているかというと、「自分自身のこと」なんですね。

「自分が他人にどう思われるか?」「他人に自分がどう映るか?」を気にしているのです。

つまり意識が自分に向いてしまっている状態で、多くの場合、相手のことではなくて、これは私自身がそうでしたが、自分のことを考えているわけです。

私が対人恐怖症に苦しんでいた時はそんなことはわかりませんでした。でもそれがわかった時、私の苦しみはどんどん薄れていったのです。

他人の目を気にするのは何故?

他人に自分がどう映るか?を考えるのは、何も特別なことではありません。

誰にでもあることだと思います。やはり他人からはよく見られたたいし、評価されたいと思うこともあります。

それは何もおかしいことではありません。

ただ、勿論ですが、他人といっても色々な人がいます。自分とは全く考え方が違う人もいるわけです。そんな人すべてに評価されることなどありえないのだと思うのです。

でも先ほどのよく見られたいという欲求が強すぎると、評価されないのではないか、笑われているのはないかという気持ちが強くなってきます。

人前に出れば、その不安が高まりますから、そういった場面を避けるようになります。

これが対人恐怖症の典型的なパターンだと思いますし、それがはじまりだったりもします。

相手に不快感を与えている?

対人恐怖症の方の中には、自分の目だったり、眉毛、笑顔などなどが相手に不快感を与えているのではないかと思い込んでいる方もいます。

私も自分の視線が相手に不快感を与えているのだと思っていました。

このように相手に自分が不快感を与えているといった思い込みは、やはり相手の評価を極度に気にしていることから来ているのだと思うのです。

その思い込みを捨てるには、人には色々な考え方を持った人がいて、みんながそれぞれ違っていることを受け入れることだと思います。

例えば、自分の視線を友人のAさんは「怖い」と感じたとします。それを知った時、自分の視線が相手に不快感を与えているんだ、と思ってしまうこともあるでしょう。

だけど、「怖い」と思ったのは、Aさんが思ったことであって、他の人はそうは思わないことだってあります。

例えば、同じドラマを見ても、100%の人が面白いとは思わないでしょう。意見は必ず分かれます。

これは何を意味しているかと言うと、人の考え方はそれぞれ違っているということで、先ほどのAさんが「怖い」と感じたのも、Aさんの感じ方、考え方であって、そう感じるのはAさんの中にそういう考え方があるからだと思うのです。

だから、Bさんは「怖い」とは思わない。

何を伝えたいかと言うと、「怖い視線」というものはそもそも存在しないということなのです。

私の視線が怖いのではありません。その視線を「怖いと思う考え方」が存在するだけで、その反対の「怖くないという考え方」も同時に存在するということでもあります。

もっというと、「怖い」と思ったのは「怖い」と思った人の問題であって、怖いと思われた人の問題ではないのです。

この、人の考え方はそれぞれなのだ、人の意見というのは必ずわかれるものなのだということを知った時、私の場合は、「自分の視線が相手に不快感を与えている」という考え方を捨てることができました。

当たり前ですが、今でも自分の視線が怖いと思われるのは嫌です。だから、できるだけいつも笑顔でいるように心がけています。

だけど、それでも「怖い」と思われてしまうのであれば、それは(ちょっと突き放すような言い方にはなりますが)「相手の問題」なのだと今はそう思えるようになりました。

不安や恐れは受け入れる

人と会うのが怖い、他人に会いたくない、どんな風に思われるか不安だ、人と会うのは緊張する、これらは対人恐怖症の特徴的な症状です。

ところで、対人恐怖症の人には、ある共通点があります。

それは恐怖や不安といったものそのものを否定しようとしたり、排除しようとしていること、です。

例えば、外出する時に人目が気になるのは、当たり前のことです。人目を気にするから、おしゃれな服を着てみたり、化粧をしたり、髪型を整えたりする。

誰もが人目が気になっているのだと思います。

でもそうやって気になったり、不安になったり、恐れたりすること、ある意味、人としては当たり前のものを排除しようとするとどうなるでしょうか?

不安になってはいけない、怖がってはいけない、こういう気持ちが沸き起こるのは、不安になった時のあのドキドキ感、怖い時の恐怖感、緊張した時の震えなどのその時に感じる状況に耐えるのが嫌でそれを避けようとしているからだと思います。

そして、そうやって避ければ避けるほど、人前に出ることそのものから逃避しようとしてしまいます。

つまり、感じても当たり前の感情を排除しようとしてしまうことで、逆に人が怖くなってみたり、不安で苦しくなったりしてしまっているのです。

しかし、勇気を持って、不安や恐怖を人間なら当たり前のこと、と受け入れてしまうと、逃げ出す必要もなくなります。

不安や恐怖は抱えながらも、それはそれとして受け入れることで、行動できるようになります。

もし、不安や恐怖を排除しようとしたらどうなるでしょうか?

人目が気になって不安に思うのが嫌だから、家からは出ない、人からどんな評価をされるか怖いから、面接は受けない、会社にもいかないという風に問題が解決するどころか、逆に問題が大きなものになってしまうのです。

「あるがまま」とは?

対人恐怖症の治療では森田療法と呼ばれる治療方法がよく知られています。私自身もこの方法を何度も学びましたし、自分の対人恐怖症を治すきっかけをつくってくれたものです。

森田療法では「あるがまま」という言葉が使われます。

人を前にすると緊張してしまってうまく話せない、人の目を見られない、赤面してしまう自分が恥ずかしいといったのは対人恐怖症の症状です。

対人恐怖症の方はこういった症状から逃れたいという欲を持っていますし、人前で緊張したらどうしよう、赤面したらどうしようといった不安を抱えています。

しかし、本当のところは逃げたいという欲だけではなくて、できることなら、恥ずかしい思いはしないで、緊張しないで、あるいは怖がったりしないで、より良い人間関係を気づいてゆきたい、自分らしく生きたいという欲も持っているのです。

そういう気持ちは他の人よりもむしろ強いのかも。だから、それが叶わないことに余計傷ついてしまうのです。

森田療法で言うところの「あるがまま」とは、この2つの欲、「逃げたい」という欲と「よりよく生きたい」という欲の前者、つまり「逃げたい」という欲を「あるがまま」にしておき、「よりよく生きたい」という欲を実現を目指すことを言います。

あるがままとは、つまり、不安を感じたり、逃げたいと思ったり、怖くなったりすることは、人間としては当たり前のことであり、誰もが感じることであるから、それを排除しようとしたりしないで、そのままにしておき(あるがままにしておき)、その上で自分がしたいこと、目指すこと、よりよく生きることといった目的を目指そうと言うものです。

不安や緊張、恐怖といった人間に備わったものは排除しようと思ってもできるものではありません。

それを何とかしようと思うと、よれが新たな刺激となって、不安や恐怖は増してゆき、実際のものよりも問題が大きく見えてくるのです。

しかし、その不安や恐怖を「あるがまま」にして、自分の目的を追求してゆけば、不安や恐怖は行動に伴ってやがては薄れてゆきます。

私はそうやって「あるがまま」を大切にすることで対人恐怖症というものを少しづつ、でも確実に治してゆきました。

そして、森田療法によって対人恐怖症を治した方は沢山います。