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人ごみが怖い

「人が大勢いるところは怖い」と思っている人もいると思います。

その考えのために行動することができず、結局自分がしたいこともできなかったりすることがあると思うのです。

しかし、人ごみの中で息が出来なくなったらどうしよう、倒れてしまったらどうしよう、誰かに迷惑をかけたらどうしよう、人に襲われたらどうしよう・・・

というような不安があったりすると、やはりその不安には勝てずにそんな場面を避けるようになったりすることもあると思います。

多くの場合、そういった恐怖は、不安や恐怖そのものを受け入れることができずに、どうにかして排除しようとした結果であるようです。

ちょっと話は変わりますが、例えば、緊張してはいけないと思うと余計ドキドキしてきます。

頭には「~してはいけない」というところは伝わらないようです。

だから、「緊張してはいけない」と思うと頭には「緊張」しか伝わらないので、どんどん緊張してしまうという風にできているようです。

同じように、人ごみの中で息ができないのではないかと思うと、不安が高まります。

そして、意識は息ができないことに向けられてしまうことから、そのような状況になると頭で考えたことが体の症状として現れてきたりします。

しかしながら、人ごみが怖いと思ったり、不安に思うことは、程度の違いはありますが、実は誰もが思っていることです。対人恐怖症の人だけが思うことではないわけですね。

混み合っているのではないだろうか?人が多く居すぎて、倒されてしまうのではないかなどの不安が頭をよぎったりすることは実は誰にでも多少はあること。

ただ、私自身がそうでしたが、対人恐怖症の人とそうでない人の違いは、そのわずかな不安を不安として受け入れるかどうか、そのわずかな怖さのようなものを怖さとして受け入れられるかどうか、の違いでしかないことに私は気づきました。

最初は小さな不安や怖さだと思うのです。

ただ、それを受け入れるのではなくて、なくしてしまおうとすると、その小さな不安や怖さがどんどんと大きなものになってゆく。

気づいたら、人混みが怖い自分になっていました。

その原因がわからず、人混みを避け続けてきた私ですが、不安を受け入れることが、怖いという気持ちを受け入れることが自分をこんなに楽にしてくれるとはその時はわかりませんでした。

私に必要だったのは、不安をそのままにしておくこと、不安があってもいいと、不安を受け入れることでした。

そして、不安を受け入れた上で自分は何がしたいのか?と考え、その自分のやりたいことの方に意識を向けてゆくことが、人混みが怖いという気持ちを克服する鍵になると私は思っています。

「怖い」とは思わなくなった

先程の続きですが、小さな不安や小さな怖さというものを受け入れずに、その不安や怖さをなくしてしまおうとすると、それがどんどん大きくなってゆきます。

不安や怖さをなくしてしまいたいと思うのは、完璧に生きようとしているからなのかも。

対人恐怖症になる人はより良く生きたいという気持ちが強い、という風に専門家は表現することがあります。

より良く生きたい、は完璧に生きようとしていることにもつながっているのかなと、私は思います。

完璧に生きようとすることは自分の思い通りに生きたいという気持ちでもあります。少なくとも私にとってはそうでした。

ただ、面白いことにその思い通りに生きたいという思いを少し捨ててみると、毎日が楽になるように感じたのです。

それから、なるようになる、という風に考えることを実践してゆきました。

なるようになると考えることを何度も何度も実践してゆくと不思議と色々な不安や怖さから自分が解放されてゆくように感じるようになっていったのです。

 

少し人ごみが怖いという話から脱線してしまいましたが、今でも人ごみは好きではありません。得意ではないし、苦手です。

だけど、人ごみが「怖い」とは思わなくなりました。

それは不安や怖さを少しづつ受け入れるようにしていったからだと私は思っています。

また、思い通りにしたいと思うことを捨てて、なるようになるさと考えることを実践し続けてゆくことで手放せるものは沢山あると思っています。