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自己視線恐怖症の根本的な治し方

自己視線恐怖症も対人恐怖症の症状の1つになります。

自己とあるとおり、自分の視線が相手に嫌な思いをさせているのではないかと思ったり、こんな目で見たら相手に嫌がられるのではないか、などと不安になったりすることもあります。

私自身もこのタイプでした。

きっかけは友達の一言、「目が怖いよ」でした。

それからは、その友人以外の人と話す時でさえ、自分の目が怖いと思われるのではないかと不安になり、まともに目を見て話せなくなりました。

目を合わせようとするのですが、目を合わせているのが次第に辛くなり目をそらしてしまいます。

そんな感じですから、相手の話に集中できるわけもありません。
変に思われていないだろうか、そればかり考えて会話をしていました。

次第に会話そのものも苦痛に感じるようになっていました。

自己視線恐怖症になると、人を避けるようになったり、または、自己嫌悪に陥ったり、自分が情けない気持ちになってきたりもします。

他人の評価は気にしない

対人恐怖症の方は多くの場合、知らず知らずのうちに他人の評価を気にしているようです。

私はまさにそうでした。

自己視線恐怖症の場合、相手からどう思われるだろうか?という風にして考えることで(相手の自分への評価を気にすることで)、自意識過剰になってしまい、相手の目を見て話ができない、相手の話に集中できなくなります。

ではどうすればいいのかというと、相手の評価を気にすることをやめてしまうことだと思うのです。

どう思われてもいいという風に考えてもいいと思いますが、私が実践した考え方は、自分の評価は自分で決めるということでした。

相手にどう思われても、何を言われても、それは相手が思うこと、相手の価値観です。そして、人の価値観というのは人によって違うということに気づいたのです。

色々な価値観を持った人がいて、だからこそ、ある人には評価されても、ある人には評価されないということが起こります。

自己視線恐怖の場合も、私のその友人のように「怖い」と思うのは、それは友人の考え方であって、全員が私に対してそう思っていたたわけではありませんでした。

ですが、私はその友人の「怖い」という評価が自分そのものの評価だと思って、だからこそ、他の人も同じように思われてしまうかも知れないと、どこかで怯えていました。

ただ、人の価値観や考え方はその人によって違うこと、そして、ある人が白だと言えば、ある人は黒だと言う風に全く反対の意見が必ずある、人の考え方というのは必ずわかれるものだとやっと理解することができたのです。

そういうことが理解できた時、人にどう思われるか?と考えることは意味がないことかも知れないなとやっと思えたのです。

そしたら、自分の評価は自分で決めようと思えて、その時から、自己視線恐怖というものから解放されました。

無理に目を合わせなくてもいい

ここまで私が自己視線恐怖症から抜け出すまでに考えてきたことについて書いてきました。

この続きを少し後で書きたいと思いますが、その前に、ここで少し対処方法について書いてみたいと思います。

人の目を見て話しなさい、または人の話を聞く時は相手の目を見なさい、という風に子供の頃に教えられた人もいると思います。

しかし、実際にはコミュニケーションのプロの人の中にも、目を見続けると相手も疲れてしまうので、時折、喉のあたりを見ましょうと指導する人もいます。(時折目を見ること)

つまり、ずっと目を見て話を聞かなくてもいいということですが、無理に目を見なくてもいいと思うと話を聞く時も楽になれるのかなと思います。

相手の喉の当たりを見る他にも、口を見たり、目と目の間の辺りを見るのも良い方法です。

実際はどう思われるか?

自己視線恐怖症になると人の目を見るのが億劫になります。

ここで少し立場を逆転して、話を聞く人の立場になってみます。

目を見て話さない人、話を聞く時に目を合わせてくれない人を人はどう思っているでしょうか?

これは自己視線恐怖症の時は、つまり、自分の立場ではそうは思えないことが多いと思うのですが、自己視線恐怖症の方が思っているほど、他の人は気にしていないことが多いものです。

目を合わせられないことを変だと思うよりも、シャイな人なのかなとか、真面目な人なのだろうなと思う人もいるようです。

目を合わせられなくても、相手は自分が思っているほど変だとか、そういう風に思うことは少ないと知るだけでも、少し気持ちも楽になれるかなと思います。

意識を相手へと移す

最初に私なりの根本的な治し方について、その後に対処方法などについて書いてきました。

最後にもう一つ、根本的な自己視線恐怖症からの抜け出し方について書いてみたいと思います。

話を聞く時に相手の目を見れないのは、自分の視線が変だと思われたりするのが嫌だから、ということが多いかと思います。

私がそうでした。

ただ、この状態というのは自分がどう思われるかなと思っているので、意識は自分に向いている状態です。

対人恐怖症の他の症状についても同じことが言えるのですが、対人恐怖症(の症状)は意識が自分に向いている時に感じるもので、言い換えると、自分に意識を向けていなければ感じることができないものです

例えば、道を歩いていたら、苦しそうにうずくまっている人がいたとします。

心配になって駆け寄って、「大丈夫ですか?どこが痛みますか?」と聞きます。

すると相手は苦しそうな顔をしながら、もごもごもご・・・と聞き取れないような声で、こちらに何かを必死に伝えようとしてきました。

この時、恐らく、自己視線恐怖症の方であっても、自分の視線が変だと思われてないか、なんてことは思わないと思うのです。

この瞬間は自己視線恐怖症ではなく、「え?何ですか?もう一度お願いします」と相手を見て話ができるし、苦しそうに話してくる人の目をしっかりと見れているはずです。

でも何故、こんなことができたのでしょうか?

それは、苦しそうに話す相手のことを「大丈夫だろうか?」と心配していたからだと思うのです。

この時、意識はどこに向いていますか?

そう、相手に意識が向いています。心配するというのは「相手」が心配なわけですから。

ここに自己視線恐怖症を克服する大きなヒントがあると思うのです

つまり、意識を相手に向けることができたら、もう自己視線恐怖などは感じることができなくなるということだと思います。

勿論、それは言うのは簡単で実践するのは難しいこと。

ただ、やってみなければわかりません。

どうすれば意識を相手に向けられるかというと、先程の苦しそうに話す人の話を聞くときと同じだと思います。

といっても心配するというのは、心配してしまうような状態の人にしか使えませんから、それ以外だと例えば、相手に興味を持つということもできると思います。

しかし、相手に興味を持とうと思うだけで、興味を持てる人もいるし、そう思っても、興味が持てないという人もいるでしょう。

その相手に興味を持てない理由というのは、これは人それぞれで、これが理由だというのはないと思います。

ただ、興味を持てないと思った時、自分は何故相手に興味を持てないのだろう?と自分に問いかけてみます。問いかけ続けてみます。何故だろう?と。

そういうことを続けていると、自然と答えが浮かんでくることがあります。

それに、ただただ、相手に興味を持ってみようと思って続けているうちに、今度は相手がこちらに興味を持ってくれることがあります。

そうなると、会話が楽しくなることがあって、それが自己視線恐怖症や対人恐怖症そのものを乗り越えるきっかけになったという人もいます。

 

ここまで自己視線恐怖症の治し方について書いてきました。

これはあくまでも私なりのやり方で、他にも色々な自己視線恐怖症からの抜け出し方があるのではないかなと思います。

ただ、どんな方法であっても、やはり大事なのは何かを実践してみること、その実践を続けてゆくことだと思います。

自己視線恐怖にしても他の対人恐怖症の症状にしても、何かをわかっただけでは治りません。何かを自分から、自分のために実践し続けることでしか、治らないと私は思うのです。

だけど、一つ言いたいのは、自己視線恐怖症にしても対人恐怖症にしても、自分から動き出せば、実践を続けてゆけば、必ず治る、ということです。