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他者視線恐怖症の原因と治し方

私の場合は最初に自己視線恐怖になった後に、他者視線恐怖になるという順番でした。どちらも同時に感じる人もいると思います。

他者視線恐怖症とは、他人からの視線を怖がったり、嫌がったり、避けようとすることを言います。

ですから、人がいるような場所は必然的に避けるようになります。人と顔を合わせるのも嫌になり引きこもりになることもあります。

道を歩いている時なども他人から見られているような気がして、自分の歩き方がぎこちないのではないか、自分は笑われているのではないか?変な人だと思われていないか?ということを考えたりしてしまって、気分が落ち込んだり、人が怖くなってきたりするのです。

でも他者視線恐怖は治ります。
私も治した一人です。

他人の視線が気になる理由

他者視線恐怖症は私の経験から言えば、思い込みが根本的な原因となっているように思います。

見られている、変だと思われているかも知れない、どう思われているだろうか、という風な思い込みに自分が支配されている状態です。

ここで言う思い込みというのは、そうであるかどうか、それが事実かどうかわからないのに、そうに違いないと思い込んでしまっている、という意味です。

しかしながら、それは思い込みですよ、誰もあなたのことはそんなに意識して見ていませんよ、変だとは思っていませんよと言われても、他者視線恐怖症の人は私がそうだったように、信じられません。

それが思い込みであることを自分自身で理解しなければならないのだと思うのです。

そのために私が実践したのは、人を観察するということでした。

少し遠いところから、相手と目が合っているかどうかわからないような距離で人を観察してみます。

相手の顔を見たり、表情を見たり、姿勢を見たり、とにかく人を観察します。

ただ、近くでジロジロ見るのはやはり失礼だと思いますから、少し離れたところから、またはこちらが見ているとは相手が気づかないような角度とか場所から人を観察してみます。

それまでは見られるのが怖かったわけですが、今度は逆の立場になってみるのです。

自分から人のことを観察してみます。

すると、色々な人がいることに気づきます。

何だか疲れた表情をしている人もいれば、急いでいるのか、余裕のない表情をしている人、肩を落として歩いている人もいれば、ニコニコして歩いている人もいます。

そんな風にして、人を観察することを外に出た時の習慣にしてみます。

そうやって人を見る立場になって、人を観察していると、少しづつですが、自分の思い込み(見られている、変だと思われているのではないか、などなど)が間違っていたのではないかと思えるようになってゆきます。

それをさらに継続して実践し続けてゆくと、次第に他人の視線がそれほど、気にならなくなってゆきます。

相手の視線が怖いと思っている時というのは、相手の目に自分がどう映っているかが気になっている状態だと思います。

それはつまり、自分に意識が向いている状態なわけです。

自分に意識が向くと、他人の視線が怖くなる、嫌になる。

ところが、その反対のこと、自分が今度は見る立場になって、人を観察してゆくと、意識は相手に向きます。

あぁ、この人は疲れた顔をしているなぁ、何か辛いことでもあったのだろうか?とか、この人は楽しそうな顔をしているな、何かあったのかな?とか。

そうやって相手に意識を向けてゆくと、不思議と人が怖くなくなってゆきます。

その人、その人にストーリーがあることに気づくと言うか。

そうなった時、もう他人の視線を恐れたり、嫌がったりする自分ではなくなっていると思います。

私はそうやって他者視線恐怖症を治したのです。

大事なことは?

一番難しいのは、実践することだと思います。

外に出て、人を観察してみようと、行動に出ることは勇気が必要です。

だけど、勇気を持って行動することでしか、対人恐怖症は治らないと私自身はそう思ったのです。

私はいくら本を読んでも、または医師に診てもらっても対人恐怖症を根本的に治すことはできませんでした。

その時は少し楽になれます。だけど、気づくと、また元の自分に戻ってしまいます。

これは以前にも書きましたが、私は誰かに治してもらおうとしていたのです。

本を読めば、そこに書いてあることが自分を治してくれるだろう、医師に診てもらえば、その先生が治してくれるだろう、そう思っていました。

だけど、それで治ることはありませんでした。

誰かに頼ること、医師に頼ることは、医師に診てもらうことは大事なことだと思うのです。本を読むことも大事なことです。

だけど、私に一番必要だったのは、行動すること、実践を続けることでした。

勇気を出して行動して、そして、実践を続けることでしか、対人恐怖症は治らないと私は思っています。

私はやっとその行動に出て、そして、実践を何年も続けることで、少しづつ対人恐怖症というものから解放されてゆきました。

私に「考え方を変えることであなたが対人恐怖症を治したことはわかりました。だけど、私は自分をコントロールできないのです」と話してくれた人がいました。

しかし、私も自分をコントロールなんてできないのです。

自分の体だって、思うように動かせません。

友人にあるダンスの仕方を教えてもらったことがあります。

こんな風に足を動かして、手はこんな風に、と教えてもらってそのやり方は理解できました。

だけど、実際やってみたら、全く思うように踊れない。

自分の体を思うようになんてコントロールできないわけです。

ところが、何度も何度も練習をしていったら、少しづつですが、踊れるようになるではありませんか!!

そうやって私はその踊りを半年かけて踊れるようになりました。

自分の体が思うようにコントロールできないように、心や考え方だって思うようにコントロールなんてできるはずもありません。

だけど、ダンスは練習が必要だとは誰もが理解しているけど、考え方を変えるのにも練習や訓練が必要だとは思わない人が多いです。

でも本当はそうではないと思うのです。

最初から自分の考え方なんてコントロールできるわけもありません。

それは練習を続けて、訓練を続けていってはじめて少しづつ、できるようになるものではないでしょうか。

対人恐怖症を治すということもそれと一緒だと思うのです。